無視とか、わざと聞こえる様に大きい声で悪口言われたりとか、
そんなの日常茶飯事で、教科書や文房具を捨てられる、財布を盗まれる、
挙句は、女子高なのに平手でおもいっきり頭を叩かれたり、笑いながら蹴られたり、
暴力にまでイジメが進展しました。
主犯格のA子は、顔は全然可愛くないんだけど、声がすごく大きくて、
親が会社の社長をやってるせいか、単なるブスのくせに学校で威張り散らしてて、
わたしは、ああ、こんなロクでもない奴に苛められてるなんて、本当に自分は情けない。
もうタヒにたいっておもいました。このブスに復讐してから。
A子の次に権力を持ってるB組みのB子の口調を真似て、
A子の悪口を散々書きまくった。数日は何もなかったけど、1週間が過ぎた頃、
クラスメイトが、A子とB子が大喧嘩をしたって話をしてた。
A子の親は社長だけど、B子の親はヤクザの親玉らしかった。
わたしはざまぁみろって思いながら、自分へのイジメが減って行ってることにも気づいた。
まだまだこんなの序の口だよ。
わたしは深夜、A子の家の庭に大量の生ゴミを投げ入れた。
もちろん、「たかだか下請けの社長の娘が調子乗ってんじゃねえよ。タヒね糞ブス」
ってメッセージを添えた。B子の口調を真似て。これを、時間をずらしながら3日間続けた。
これ以上続けると、さすがにバレそうだったから、しばらく様子をみることにした。
むしろ、A子の金魚の糞だった取り巻きの連中が、A子に汚い言葉で罵られたり、
意味もなくキレられて馬鹿みたいに泣いてる奴を見かけるようになった。
わたしは俯いて聞こえないふりをしながら、必タヒで笑いをこらえていた。ざまあみろ。
この頃になると、もともとブスなA子の顔が、険しさを増してより醜くなって、
わたしはもっともっと、自分が味わった屈辱の何倍もの苦しみを与えて、
こんなブサイクさっさとタヒねばいいと思うようになった。
ある時は河原で拾った握りこぶし大の石を、A子の部屋に向かって投げた。
石は冗談みたいに、正確にA子の部屋の窓を叩き破った。
わたしは急いで逃げなら、嬉しさと爽快感で涙が出てることに気づいた。
次の日は10円玉で、A子の親の車に馬鹿だのタヒねだの、ブスの娘頃せだの、
色んな言葉を書きなぐってやった。1週間近く間をあけて、今度はA子の自転車を潰そうとおもったら、
玄関先に監視カメラのようなものが設置されてるのに気づいた。
残念だけど、A子の家への復讐はこれで終わった。
壊れたものはお金で直せるけど、傷ついた心はA子がタヒななきゃ治らないと思った。
それからしばらくして、A子とB子が和解したらしい話をクラスメイトがしてた。
わたしはすぐに登校拒否をすることにした。
イジメられてるからもう学校行きたくない。両親にそう告げたとき、
2人とも泣いて謝ってくれた。気づいてあげられなくてごめんねって。
わたしは両親の涙を見て、ますますA子のことが許せなくなった。
あいつにはタヒんでもらうしかないとおもった。
わたしは1ヶ月ぶりに学校へ行った。
クラスメイトの冷たい視線を浴びながら席に着くと、
待ってましたといわんばかりに、わたしの後頭部に誰かの上履きが直撃した。
A子が威圧的な声で「お前なんで学校来なかったんだよ」って言った。
痛みと恐怖と怒りで口や目元が痙攣し、胃が締め付けられ、吐き気がした。
足や手がガタガタ震えて何も出来ないで居ると、突然側頭部を何かで思い切り殴られ、
わたしは椅子から転げ落ちちた。学生鞄で殴られたらしかった。
自分がやったことわかってんのか?お前マジで頃すぞ」
A子がドスのきいた声でそういったとき、わたしは気を失うかと思うほどの恐怖を感じた。
何故ばれたんだろう。今思い返しても全くわからない。
いや、もしかすると、単にわたしに罪を擦り付けて憂さ晴らしをしたのかもしれない。
「こいつの荷物、全部焼却しちゃう?」A子が笑いながら取り巻きに言うと、
そいつらは喜んでわたしの鞄とその中身を焼却炉に捨てに行った。
わたしは自分の置かれた状況を理解しきれず、床に突っ伏したまま無言で震えていた。
すると、突然誰かがわたしの髪をわしづかみにして、無理やり頭を持ち上げられた。
あまりに強い力で引っ張られたせいで、髪が千切れて抜ける音まではっきり聞こえた。
A子はわたしの顔面を思い切り蹴り上げ、笑いながら言った。
「今日の放課後、お前のことみんなでリンチするから覚悟しとけよ。逃げたらマジ頃すから」
わたしはA子たちにやられる前にタヒのうと思った。
だけど、もしここでわたしがタヒんだら、A子に負ける気がして悔しかった。
こいつに自分が味わった以上の苦しみを与えてやりたい。
悔し涙を流しながら、まだタヒんじゃダメだって必タヒに自分に言い聞かせた。
A子は自分の彼氏をリンチに加え、A子の彼氏に顔面を蹴られ、
わたしの前歯は2本が折れ、3本の歯にヒビが入った。
本当に頃されると思った。わたしは口から血の混じった涎を垂れ流し、
泣きながら許してくださいって謝った。
あいつらは笑いながら、「きこえなーい」と言い、さらに暴行を続けた。
わたしは何度も何度も謝った。下着を脱がされ、股を指差して笑われても、
今タヒぬわけにはいかなかった。A子を地獄に突き落とすまでは絶対タヒねないと思った。
ボロボロに傷ついた体で家に帰ると、両親は卒倒寸前で警察に通報すると言った。
だけど、わたしはそれを絶対にさせなかった。警察に通報するならわたしもうタヒぬから!
そう言って、怒りに震える両親を何とか引き止めた。
わたしは高校を卒業寸前で退学した。A子への復讐だけが生きる糧になった。
わたしは専門学校へ通うという名目で東京へ上京し、年齢を偽って水商売で働いた。
数ヵ月後、溜まったお金で整形手術を受けたわたしは、かなり派手な顔になり、化粧が映えた。
働く店のランクも上げた。面接の時も、君なら頑張ればNo1になれるとマネージャーに言われた。
店に来る客の中には、ヤクザの世界では名の通った人も何人か居て、
わたしは必タヒで権力と力を持った男達に取り入った。
彼はわたしをかなり気に入ってくれて、プライベートでも付き合うようになった。
知り合って1年が過ぎた頃、わたしは彼にA子の話をした。
わたしが水商売で働く理由も、わたしが今生きている目的も、
何もかも包み隠さず、全てを彼に曝け出した。
わたしはKさんが復讐の手伝いをしてくれることを信じた。
この人なら、わたしの望む復讐を成し遂げられるだけの力があると思った。
だけど彼は、復讐なんて考えるな、忘れろと言った。
わたしは半分狂ったように泣きじゃくって彼に罵声を浴びせた。
「わたしの復讐を手伝ってくれないなら、もうタヒぬ」
本気だった。A子に復讐できないなら生きてる意味がない。
どうしてKさんはわたしの苦しみを、怒りを、悲しみを理解してくれなかったんだろう。
わたしはKさんのことを愛していた。
愛していたからこそ、裏切られた気がした。
「もういい。一緒にタヒんで」わたしは自分でも何を言ってるのかわからなかった。
だけど、真っ白になった頭から出たのはこのセリフだった。
Kさんは、「練炭なら苦しくないっていうしな。一緒にタヒぬか」と、
わたしを抱きしめながら優しい声で囁いた。
その日わたしは、Kさんの腕の中で子供のように包まれて眠った。
Kさんの親分、Tさんのもとへ向かった。もう頼れるのはこの人しか居ないと思った。
これまでの経緯を全てTさんに説明し、覚悟の証しとして、指を詰める決意もあることを伝えた。
ここまでくるまでに、嫌になるほど自分の肉体を消耗してきたと思う。
好きでもない男に抱かれ、苦手だった酒を浴びるように飲んだこともあった。
同年代の女の子が彼氏と楽しそうにしてるとき、わたしはA子への復讐しか頭になかった。
心も、体も、すでにボロボロだった。もうどうなってもいい。指が一本無くなったところで、
どうせあとはタヒんで終わるだけだ。そう思った。
Tさんはわたしの話を半ば呆れたように聞きながら、そこまでの覚悟があるならと、
復讐の手伝いを承諾してくれた。そして、復讐を手伝うことの条件として、
2千万の金を用意するように言われた。
わたしは当時、一千万近い貯金はあったものの、2千万のお金はすぐには集められなかった。
上客に工面してもらい、1週間かけてようやく2千万のお金が集まったとき、
Kさんがわたしの住んでるマンションを訪ねてきた。
ドアを開けると、わたしは突然平手で殴られた。
わたしは不思議と冷静だった。どこか違う場所から自分を眺めてるような、
不思議な落ち着きがあった。
「やめない。でも、本当にごめんなさい。Kさんに心配ばかりかけて」
わたしは深々と頭を下げて謝った。
Kさんは舌打ちをしながら
「好きにしろ。でも、どうしようもなくなったら俺が面倒みてやるから、
いつでも連絡してこい」と言ってくれた。
彼が去ったあと、わたしは崩れ落ちるようにその場に座り込み、
声を上げて泣いた。
Tさんのもとへ2千万を持っていってから1ヵ月後、
A子の両親の会社は倒産した。興信所の調査によると、
A子は大学へ進学し、親の仕送りで、
わたしと同じ東京で悠々自適に生活してたらしい。
ブスな顔に流行の化粧をしたA子は、ひどく醜かった。
興信所の人に見せてもらった写真を見たとき、
わたしはA子に殴られたときのことを鮮明に思い出した。
A子はとっくに大学を辞め、親の残した借金を返すために風呂に堕とされたらしい。
その前には、Tさんの所の若い連中に、まわされたとも聞いた。
今わたしの手元には、A子が客に撮らせてやったらしい脱いだ写真がある。
醜い顔でタヒんだような目をし、カメラに向けて股を広げるA子の姿がそこにあった。
彼女の目には、すでに生気はないように思う。
生きてるけど、タヒんでるんだ。こいつの人生はもう終わった。
だけど、同時にわたしの人生も終わってしまった。
Kさんはタヒんだ。
あの日、わたしを平手で殴ったのが、Kさんを見た最後だった。
A子、お前は一生そのまま生き地獄を味わえ。楽しいとか、嬉しいとか、
そんな感情もなく、誰からも愛されずにタヒんでいけ。それがわたしの復讐だ。
わたしもタヒんだ。でも、わたしにはKさんという人が居た。
彼はわたしを愛したままタヒんでいった。それでいい。
その思い出だけでわたしは生きていける。
タヒね、A子。
A子には会ってないの?
Tさん関係にポアされたとか?
高校を辞めてからは一度もA子に会ったことなかったです。
ボロボロになったあいつに自分の手で何かやってやろうかとも思ったけど、
正直、会うのが怖かったのもありました。
わたしも色々経験して、普通の女性よりは肝が座ってきたと思いますけど、
やっぱりトラウマになってるのかもしれません。
>>91
Kさんは交通事故で亡くなりました。
何ヶ月かKさんと連絡が取れない状態が続いて、Tさんにも何度も尋ねたんですが、
わたしが事実を知ったのは、彼が亡くなってから1ヶ月も過ぎてからでした。
Tさんはわたしのことを心配して秘密にしてくれてたようです。
Kさんは、Tさんがもっとも信頼している部下だったらしく、
自分に何かあったときは、わたしのことをよろしくお願いしますって、
酒を酌み交わすたびに言ってくれてたそうです。
現在Tさんとは年に2~3回しか連絡を取りませんが、
Kさんとの約束を守ってくれて、困ったことがあればいつでも頼ってこいと言ってくれています。
わたしも30半ばを過ぎ、自分の人生はほとんど終わったと思っています。
一番輝いていられる時期をA子への復讐に費やして、一番大事な人も失くしましたから。
本当なら今すぐにでもKさんのもとへ行きたいです。
でも、彼がわたしに残ししてくれた言葉を思い出すたびに、
こんな人生でも生きていくしかないんだと、自〇を踏みとどめています。
それが彼へのせめてもの償いだと思いますから。
引用元: ・本当にやった復讐 2
憎悪って怖いな