ありがとう
同じような状況の人にも頑張ってもらいたい
寄生先がもう私かいないから仕方ないんだ
母はのんびりおっとりした優しい人
父は仕事では真面目だけど家に帰って来てからはたくさん遊んでくれる人
きょうだい3人仲良くてまあまあ普通の家族だった
育ちの良さがうかがえるのだ
父はやると決めたらとことんやるタイプ
辞める前から、異動してきた上司とウマが合わず、父が前の上司とずっと前から計画していたことは何もさせてもらえない状況になったという話を聞いていた
だから突発的にカッとなって意地になって辞めたようなもんだと思っていた
だけど父は何ヶ月経っても求職せずパチ屋や競馬場に通い詰めていた。
母や兄が職安に行くよう言うと無視をする。
私達が思っていた以上に意地になっているんだ、でもそのうち次の職を探すだろう、今ぐらい休ませてあげようと私は思っていた
どんどん両親の会話は無くなり、父が帰宅すると母は不機嫌な表情。兄も苛立ちから父の顔を見ると舌打ちをする。弟は母や兄の様子を見て、一緒になって父を悪者扱い。
私は父がなぜ仕事をしないのか疑問を抱きながらも自分の高校受験のことで頭がいっぱいで特に何も考えていなかった
近所に住む幼馴染と、母が置いてくれているお昼ご飯を予想しながら帰っていた。
平日のお昼前、いつもなら父はパチ屋へ出かけているため車はない。ところがこの日は父の車が駐車場にあった。
今日はまだ寝てるのか、午後から行くのかなと思いながら玄関を開けた。
家に入ると、物音はしない。
ああ、寝てるんだ。と思いながらリビングへの廊下を歩いていると、途中にある階段から気配を感じた。
一瞬何が起きてるのか分からなかった。
お父さんなにしてるの?声に出して言った。
当然返事は無くて、触ってみるとまだ生温かい感じがした。
まだ生きてる!そう思ってすぐに救急車を呼んだ。
なぜかすごく落ち着いて丁寧に話せていた気がする。
救急車は5分程で来た。その時点でまだ母は帰宅しておらず、救急隊員は中3の子ども相手に気まずそうに、「お父さん降ろすのに人手がいるから警察の人も呼ぶね」と言った。
救急隊員は気を使って学校のことなど、世間話を振ってくれた。
聞かれたことだけ答えている間に母が帰宅し、混乱状態。
警察の車に乗せられ、改めてジサツで間違いないと言われた。
兄が帰宅して父が布団に寝かせられ、警察も帰ってから弟を迎えに行った。
兄と弟はワンワン泣いていた。
私は2人の背中を無言でさすっていた。我慢しているわけでもないのに涙が出なかった。
他の3人に「もう仕方ないよ。お父さんが1番辛くて悩んでたんだよ。誰も悪くないよ」とか必死に慰めようとしていた。
私や兄、弟もなんとか学校へ通っていた。
無事に高校受験も終わり、少しずつ以前のような和気あいあいとした雰囲気が家族に戻ってきた。
もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います。
バイク事故で即死だった。目撃者によると、飛び出して来た猫を避けた拍子にバランスを崩して転倒したらしい。
そうであってほしいと何度思ったことか。
私が目を離した隙に2人がジサツするかもしれない、突然呼吸が止まるかもしれないという不安があった。
母と弟が家にいると、2人が起きていても寝ていてもそういったことが不安で、うたた寝程度しかできなかった。
母や私に反抗するようになってきた
父の死について考えるようになっていた
母が買い物に行っている間、私が自室にいると、リビングで父が撮ったホームビデオを観ながら泣いていることもあった。
経済面を考えれば就職することが現実的だった。
でも私は幼い頃から憧れの保育士にどうしてもなりたかった。
母へ相談したら、進学を勧められることは分かりきっていたので、
あえて弟に相談した。
弟は真剣な表情で、
「迷ってるってことは保育士なりたいってことだよ。お金のことは後からなんとかなるでしょ。お母さんのパート代だけでここまで育ったし。」と言った。
弟の成長に感動した。
推薦の基準をクリアしていて簡単に入れて、入学金も免除でラッキーだった。
放課後や休日はバイトに時間を費やしたくさん貯金した。
成績上位者の学費半額免除枠もゲットし、母も弟もすごく喜んでくれた。
弟の中二病はそれほど酷くなかった。
コーヒーはアメリカンというこだわりを持ち始めたぐらいだった。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
すぐに内定通知書を仏壇に置いて、初めてお線香をあげた。
実はそれまでもそれからもお線香をあげれていない。
お線香をあげる=死を認める だった。
私はまだまだ2人の死を受け止めきれていない。
でもその時はどうしてもその喜びを伝えたくて、お線香10本ぐらいあげた。
お母さんにあげすぎって怒られた。けど私のその姿を見てお母さんは嬉しかったみたい。涙目になってた。
>>37
ありがとう
書き込み遅くて申し訳ない
母と弟も賛成してくれた。
職場からすぐ近く実家から1時間程の場所へ、バイト先の知り合いをツテに物件を探してもらっていた。
母も時々父や兄を思い出し、涙することもあるが徐々に昔のような能天気な母に戻ってきていた。天然が炸裂してこっちがイライラするほど。
名前を呼ばれ、しっかりとした声で返事する弟を見て、逞しくなったなあと思いながらビデオを構えていた。退場の時、目が合って照れ臭そうに笑っていた。
教室での最後のホームルームでは一人ひとりスピーチがあった。
みんな親へ感謝の言葉を言っていた。
「お父さん、お兄ちゃんありがとう。お父さん似の顔とお兄ちゃん似の女の子の扱いの上手さのおかげで3年間楽しかったw
2人からたくさんのことを学んで、メンタル強くなりました。悩んだ時に2人を思い出すと、悩みの小ささを実感して、頑張ろうって思えたよ。
お母さんと姉ちゃんにはこれからもすがる予定なので特に何も言いません。」みたいな感じだった。
これはちょっと寂しかったな。
嬉しくて嬉しくて、その翌日には3人でお墓参りに行った。
私はお墓参りもやっぱり嫌で、霊園を散歩してた。
帰りに弟が大好きなオムライスを食べに行った
動けないほどではないらしいが、倦怠感もあり、排便しても変わらないとのこと。話を聞くと、ここ数週間の間、食欲もあまりないと言う。思い返すと前日のオムライスもほとんど残して弟にあげていた。元々少食のため自宅ではあまり食べないが、外食では残すことはなかったのに。
そんな母が自分から腹痛を訴えるのはよっぽどだなと思い、病院へ連れて行った。
検査入院が必要だと言われた。
この時で3月半ば。一人暮らしの準備でマンションも契約していたが、事情を話して破棄してもらった。知り合いのツテと言うことで、無料でキープしておいてくれるとのことでこれまたラッキーだった。
弟は同級生と遊んでいた。
私は何事も無いことを祈りながらも母の死を覚悟していた。
あんなに痛がってしんどそうにしている母を見るのは初めてだったから。
帰宅すると、弟と2人。弟もある程度察しながらも普段通りを装っていたように思う。
私は当時20歳であったが、童顔なためか、
医者から気まずそうに「できれば成人の方が良いのですが…」と言われた。蹴りそうになった。
「ですよね」って返事した気がする。
この報告を聞いて真っ先に浮かんだのは、母の死ではなくて弟の将来だった。
弟はもうすぐやっと高校生になる。私はもうすぐ就職で生活がガラッと変わる。
親戚はたくさんいるけどみんな遠くに住んでいる。みんな良い人達で金銭面は父の死から後よくしてくれているが、直接的な援助は受けにくい。
もし2人で暮らすとして、弟は未成年。児童相談所が絡むこともあるのか?そうなれば施設入所?もしくは遠くの親戚に預けられ、弟と離れ離れに?せっかく努力して合格したのに転校の可能性も?など。
お母様やご兄弟にはお伝えしますか?と聞かれた。
母はこの時まだ結果を知らされていなかったが、おそらく予感しているだろうと思った。知らない状態で病気が進行する方が怖いだろう、母にはすぐ伝えたいと思った。
弟へどうするか悩んだ。
でも今このタイミングでそんなマイナスな報告をするのはどうなのか。新しい生活を楽しみにしている様子は、今まで見向きもしなかった学園ドラマを夜な夜な1人で見始めた姿からよく分かる。
その気持ちのまま、高校生活をスタートさせてあげたい。そう思った。
弟には末期ガンで余命数ヶ月であることは伝えないことにした。
初期のすい臓がんで治療すればよくなると伝えた。
担当の医者や看護師もそう合わせてくれた。
後から聞いた話、母と同じ病室の患者さんも合わせてくれていたみたい。
すぐに他の先輩職員や同期にもそのことを話してくれた。
私はまだ新入りで、関係を築けていないのに
「〇〇さんが良い子ってことがよく分かった!いっぱい手伝うよ!」「悩みのはけ口にして!」と声をかけてくれた。
引用元: ・弟から手紙をもらった
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