22: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)15:55:02 ID:OAbMNITBX
みなさんの体験を読んでいると、かすむような話ですが私の体験を書かせてください。
何分初めて、フェイク有りなので、つたない所はご容赦を。
私・・・・・当時30歳ぐらい、現在は40代後半
旦那・・・・・私より7つ上
姑・・・・・還暦前後
舅・・・・・姑より7つ上
大姑・・・・・80歳ぐらい
義父妹・・・・・姑と同い年
義父妹旦那・・・・・Aさん

私は25歳の時に結婚したのですが、結婚する前は当然別居という話だったのですが、大姑が車椅子になったこともあり、当時おとなしかったこともあり、必死になって拒否はしましたが私の両親に介護が必要になったら、必ず助けるから今回は我慢してくれと言われ、3代同居。
バカでした。
それまでは別居ということがあり、あまり付き合いがなかったせいもあり関係も悪くはありませんでした。
しかし、一緒に住んでみると皆が皆めちゃくちゃ性格が悪かった。
旦那もこれほどわがままになるのかというほどに変わってしまい、
ひどかった。
私が掃除すると、あらを探しここもしろ、あそこもしろ、ここはやり直しといった風で、ろくに休憩する暇もありません。食事を作れば、甘い、辛い、まずいの連発。
ご飯を食べようとすると大姑の部屋からブザーが鳴り、やれトイレだ、なんだととにかく大忙し。
夜も大姑の部屋からのブザーがうるさくて眠れないと旦那とは別室です。
一緒に寝ないから子供なんてできるはずがないのに、「孫、孫、孫」。
頭が狂いそうでした。6カ月たたずに体重が10キロ以上減りました。もともとは、162センチ56キロ
だったんですが、あと少しで40キロになりそうでした。
そんな生活をしていると、何がおかしいのかが分からなくなるんですね。
23: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)15:55:52 ID:OAbMNITBX
ある夜、大学時代の友達から結婚をするので出席してほしい、と電話があったんです。
この友人には自分の結婚式にも出席してもらっていたのに、いけないかもしれない。と返事したんです。そうしたら友人が、「どうしちゃったの?
声も元気がないし、今までだったらどんなことがあっても出席するからねって言ってくれたよ。何か大変なことになってるんじゃないの?一度そちらに行くから私の近況だけでも聞いてよ。結婚してから連絡をくれないから、のろけ話だって聞いてもらってないよ。婚約者を紹介するから結婚式に出れないなら、久しぶりに顔だけでも見たい。」と言われたのです。
元気がないとか、大丈夫なんて言葉義実家の人間や夫に言われたことすらなくて、涙が出てきました。実家の両親や兄弟とも本当に長いこと電話すらしていないことに気付かなかったんです。
そうしたら急にどうしても友人や両親兄弟の顔が見たくてたまらなくなり、お財布だけ持って、タクシーに飛び乗ってました。
突然帰った私を見て、両親や兄弟は泣いていました。わたしから連絡はないし、電話をしても取り次いでもらえない、兄が出張の帰りに義実家によっても、私は出かけていると言われ会わせてもらえない。
どうしようかと話し合っていたそうです。
私は実家について最初、「大変なことをしてしまった。義実家の人に怒られる。離婚して捨てられる。」そう思って、すぐに義実家に電話をしようとしました。
そのとき父が、「お父さんが電話をしておいてあげるから、先にお風呂に入って着替えをしておいで。一晩タクシーだったから疲れただろう。ご飯を食べながら話でもしよう。」といいました。
私は、義実家に怒鳴られるのが怖かったので、電話を父に任せました。
お風呂を出ると、母がサンドウィッチと果物と飲み物を用意してくれていました。
久しぶりの実家での食事は本当においしかった。今でも今までで一番おいしい食事だったような気がします。
わたしがお風呂から出ると、兄弟はみんな学校や仕事に出ていて私と両親の3人だけでした。
その時両親が、「まだ帰りたいか?」と私に聞きました。
私は、返事ができずに、「帰らないと怒られる。」と小さな声で言いました。父が「怒られへんのやったら帰りたいのか?」と又聞きました。
私は返事をすることができずに、ただ黙ってうつむいていました。
24: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)15:56:04 ID:OAbMNITBX
そしたら母が、「あんた、こんなに痩せてしもて、しんどいのとちがう?
お母さん、あんたがこんな痩せてしまうほどしんどいとこに帰ってほしない。それでも帰りたいんか?」と言いました。
私は「うちにおれるんやったらおりたい。もうあそこには帰りたない。」
と言いました。父は、「○○君はどないするんや。」と聞きました。
私は「別れたい。」と言いました。父は「後悔せんのやな。お父さんが動いたら、もう元には戻れんで。ホンマにええのやな。」と言いました。
私はその時はっきりと「かまへん。別れたい。うちに戻りたい。」と言いました。
そこから、わたしは旦那以外の義実家の人間に会うことなく、離婚しました。
旦那はわたしが逃げ出したその日の夜に、私の実家に来ましたが、最初私が行き届かないから苦労しているので、今までのしつけが悪かったのだから仕方がない。もう少ししたら楽になると思う。だから連れて帰る。
このようなことを私の両親に言いました。私は、連れて帰られたらどうしようと旦那の横に座ることすらできませんでした。
父は、旦那に手をつくと、「申し訳ない。可愛い娘だったので、きちんとしつけがなっていなかった。これ以上迷惑をかけることはできないので、娘はうちで引き取ります。後の話は第三者を通してお互いに話し合いましょう。とりあえず、今日は帰ってください。すぐにこちらからご連絡を差し上げます。」と頭を下げました。旦那は、「連れて帰る。」と私の腕をつかもうとしましたが、父が旦那に「しつけがなっていないものを連れて行かせるわけにはいかない。お引き取りを。」と言い、旦那の背中を押して玄関まで連れて行き外に出してくれました。旦那はわたしに、「さっさと帰ってこないと大変なことになるからな。」と外で大きな声を出していましたが、結局帰っていきました。
そこからは早かったです。弁護士を通して、慰謝料のやり取りと財産分与をして離婚しました。いろいろもめましたが、私の決意が固かったこと、両親兄弟の応援があったこともあり、裁判まで行かずに離婚することができました。
その後の旦那家族ですが、
義父の妹が大阪に嫁いできており、私の父親と関係のある仕事をしていたのです。
そもそも旦那と知り合ったのも、この仕事関係のパーティーがきっかけでした。
力関係は私父が元受で、義父妹さんの嫁ぎ先が下請けでした。
Aさんのところは下請けでもかなり大きなところで、わたし父の仕事を切られると、従業員が多い分かなり大変になることが予想できました。
旦那が帰るとすぐに、Aさんが来ました。なぜAさんに相談をしてくれなかったのかと。頼ってほしかったと。
Aさんは、義実家には来たことはありませんが、義父妹さんは、何度も義実家に来ていたこと。同じようにして私に接していたことを言いますと、がっくりとうなだれておりました。
Aさんは、父に「このようなことで、取引を切るようなことはないようにお願いします。従業員が困るのです」と言いました。
父は、「君がうちに訪ねてこなかったら、そんなことは考えもしなかったろうが、君がうちに訪ねてきたということは、娘がひどい目に合ってることを知っていたということだね。だったら、わたしも企業人としてではなく私人として対処させてもらう。お引き取りください。」と言いAさんを帰らせました。
結局父は契約の更新をしませんでした。後になって兄に尋ねると兄は、「仕事に私情ははさんでいない。ただAさんの会社と同じ条件で、同じ品質のものを作り上げることのできる会社は他にもあるから、そこは人としての信頼がものをいう。」と言われました。
結局Aさんの会社は、下請けとしてはかなり大きな会社だったのですが、メインの取引を切られたこともあり、現在はかなり厳しい経営となっているようです。そして、義父妹は、私が義実家でいじめられていることを、Aさんに言わずに、自分もそのいじめに加担していたことをきっかけにして、現在義実家のほうに帰って別居となっているようです。義父妹はかなりの額を義実家に援助していたようで、そのことも離婚事由になっているのではないかとのことです。その後の旦那と義実家の面々は、Aさんからの援助もなく、非常に苦しい生活を強いられているようです。私がいるころから実質仕事をしているのは旦那一人でしたから。結局離婚すら人任せだった自分の甘さが、この結婚が失敗した理由なんだとわかり、現在は実家を出て働いています。
私が離婚するきっかけを作ってくれた友人ですが、現在も仲良くしてもらっています。彼女は子供も2人いてとても幸せに暮らしています。
今日彼女と食事をしたので、思い出したので書きました。
26: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)18:35:58 ID:i8aKc7pyl
>>22
かすむような話…いやいや当人にとっては人生の一大事
ご家族(元糞旦那除く)や友人に恵まれたね
最後、幸せに暮らしてるって書かれてホッとした
お疲れさま!
30: 名無しさん@おーぷん 2014/07/24(木)19:33:47 ID:JyrYJgGCE
>>22
悪い縁断ち切れて本当に良かったね。十分過ぎる苦労話だよ。
Aさんは可哀想な部分はあるけど、配偶者の選択と過ちを修正出来なかったのは落ち度だな。その時知ったとしても、利益や保身ではなく、謝罪と誠意での対応に終始すれば損失は免れたのに。

引用元: 今までにあった修羅場を語れ【その4】