姉に育ててもらったのに、その姉の夫を好きになってしまったのが修羅場。
墓の中にまで持っていかなければならないことなので吐き出したくて来ました。
私=男。
注意。
元々母子家庭だったが私が七歳のときに恋人ができたらしく母親が蒸発。
専門学校に通っていた当時十九歳の姉が私と兄(当時十二歳)を育ててくれた。
母方の祖父母もいたけど、年金暮らしの高齢者で金銭的には頼れなかったから姉は学校を辞めて昼は事務、夜は居酒屋で働いていた。
浮いた話のなかった姉が結婚したのは私が高校生になった時。その頃には祖父母は亡くなっていて、兄は高卒で家を出ていたから姉と二人暮らしだった。
当時の私は自分のセクシャルを自覚する前で、姉のご主人に男の理想象からか憧れた。
実際姉と同世代の人だったからとても大人で、姉夫に父親を求めたのかもしれない。
気が付いたら姉夫を好きになっていた。
それからは毎日自分の中で修羅場だった。
苦労ばかりしていた姉がやっと幸せになったって、最初は嬉しかったはずが段々姉が憎たらしくなっていった。
姉に無意味に突っかかったり、せっかく作ってくれた弁当をわざと持って行かなかったりと、今思うと幼稚な反抗を繰り返した。
何より、自分の感情が恋だって認めるまで時間がかかったし、認めてからはどうしていいかわからなくなった。
姉が原因の不妊だとわかったとき、心の中で「ヤッター」って思った自分を絞め殺したくなった。不妊が原因で別れるんじゃないかと期待した。
女だってだけで姉夫と結婚できた姉が妬ましかった。
ただ、姉夫を誘惑する度胸はなかった。
当時の私は姉に対する罪悪感と嫉妬で半分マジキチになっていたと思う。
姉と姉夫は反抗期だと思っていたみたいだったけど、姉と一緒に出掛けるたびに「階段から突き落とせば」とか、「姉が死ねば姉夫さんは私を見てくれる」とか、基地スレにいそうな思考回路をしていた。
高卒で家を出た兄は地元の工場に就職して一人暮らしをしていた。このまま家にいたら何をするかわからないと自分が自分で怖くなって兄のところに転がり込んだ。
最初は追い出そうとした兄だけど、追い出そうとすると私がヒステリーを起こして暴れるからそのうち何も言わなくなった。
兄とは殴り合いのケンカになることも珍しくなかった。
何も言わずに家出同然で兄のところに行ったから、姉夫婦にも随分心配をかけた。
誰にも相談できなくて毎日が辛かった。
たいしたことじゃないかもしれないけど、あのときの自分の基地ぶりが修羅場。
いまだに女性に興味を持てなくて、恋人を作っても全員同性。
姉夫婦とは飛行機の距離に暮らしているから年単位で会ってないが、たまに電話がかかってきてそろそろ結婚しないの?って聞かれるのが地味に痛い。
育ててもらった恩を忘れて姉不孝ばっかりしているから。
姉夫を好きだったことも、同性愛者だってことも、カミングアウトできないから墓まで持っていくつもりでいる。
いまからでも遅くないじゃん
思い立ったが吉日、ほんの少しずつでも姉孝行しなはれ
自制して距離を置いたのは偉い。立派だよ。私にはそれだけで
十分姉孝行だと思う。
これからの人生は貴方の思うように生きていいよ。お姉さんは親代わりの
気持ちが強いんだろうけど、それに縛られる必要はないからね
内に秘めた修羅を外に出さず我慢できるって素晴らしいことですよね。
必ずしも親に言えないこと=許されないことではありません。両立できる範囲で無理せず自分の幸せも掴んでください。
辛い失恋でも自分を見失わないのはすごいよ
自分を責めずに許してあげてね
引用元: ・今までにあった最大の修羅場を語るスレ5
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