家族にも友人にも恵まれ、私の人生は順風満帆なはずだった。
しかし
株取引に失敗し、多額の借金が残り、家と会社を売り払って精算した。
やり直そうとした矢先、次男がタヒんだ。やり直す気力が奪われてしまった。
働けず精神科に通い薬を飲み、失意の中タヒんだように生きている。
人を踏み台にして得た幸福は、しょせんあぶく銭のようなものでしかなかったのだろうか?
これは因果応報だったのだろうか?
しかし、因果応報なら私の財産を奪い、私を頃すだけで良かったのに。
どうして罪の無い次男がタヒななければならなかったのだろうか?
私が息子を失った失意を味わうのも因果応報のうちなのだろうか?
因果応報と言うのは罪を償うためにあるのか、罪を犯した者を苦しめるためにあるのか?
このスレの過去スレをざっと読んでみたが、答えは未だ出ない。
この世界は、現世もあの世も思念で保たれ、思念が影響しあって成り立っている。
因果応報は、その結果にすぎない。
例えば、
犯罪者Aが被害者Wから1万円を騙し取った場合、騙されたことを知った被害者WはA恨むだろう。
しかし、その被害者Wが今度は別の犯罪者Bに全財産を奪い取られたら、その犯人Bを物凄く恨むだろう。
結果、相対的にAに対する恨みは小さくなる。
もしかしたらAに対する恨みなんて忘れてしまうかもしれない。
その場合、Aに対する恨みの念が薄れるため、
Aはこの被害者Wの念によって 大した不幸に見舞われることはない。又は不幸に見舞われない。
つまり、自分以外のものに恨まれる行為をした場合、相手の恨みによってどの様な報復をされるかは相手次第。
貴方は相当酷く恨まれているのだろう。
因みに、”感謝”も念なので同じ原理だよ。
>>240じゃないけど、凄く分かりやすい説明で納得した。
自分の場合は(犯罪じゃないけど)、Bの立場だ。
幼少の頃からB(自分)をストレス解消の為に殴っていたW(兄弟)。
Wは結婚したがその性格ゆえに離婚し、実家に戻る。
A(結婚相手)を恨んでいた。
Wが実家に戻って数年後に、Bが関わる形でWに応報があった。
その応報はBが望んだものではないが、Bにも応報があった。
Wは全身全霊でBを恨み、Bも同様に憎しみあっている。
Aに応報があったかどうかは知らないが、多分今のところは何も無い。
>>240
親の因果が子に報い・・・だと思う。
相関図が違う気がする。
>>240
因果応報とは
自分のしたことの結果でしかありません。
そのことで自分が罪を償う気になろうが、苦しもうが、
それはあなたの勝手です。
ただ、自分の不幸の原因を頃した人になすりつけ、
被害者意識を持つのは、間違っていると思います。
>>240
誰かのタヒを踏み台にして得た地位や富が無くなって
>やりなおそうとした
あなたはきっと、同じ方法で自分の昔を取り戻すことだけを
考えていたのではないですか?
同じ方法でやり直そうとしたから
誰かのタヒを踏み台にする必要があったのです。
また誰かをタヒなせなくてもすむように
次男さんが命を賭けてくださったのではないでしょうか。
次男さんの命を踏み台にできなかったのですから
その頃した人も誰かの家族だった、ことに思い至れば
何か見えてくるものがあると思いますけどね。
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だから奪われて当然だが、まあ次男ってことなら長男残ってんだから上々じゃん
ま、因果応報って前世・今世・来世を含む考え方だから、来世まではわからんがな