※その2※
皆様の想像力、すごいですっ!!
続きます。
結局、そんな事の繰り返し(汚家での状況は変わらず経過)で2年が過ぎた。
ある日、元ウトから「見せたいものがあるから、帰って来い」と指令があった。
有無を言わせない元ウトなので、万障繰り合わせて、元エネ夫と、ねね県へ行くと。
車に乗せられ、3000メートル級の山々を望む「ど・田舎」の
150坪の土地を、嬉しそうに披露された。
一人語りの元ウト。
「ここに家を建てる。
ムチュコタン、わかってるよな?」と。
元エネ夫に「どういう事?」と目で聞いてみたけど、おどおどするばかり。
この件があって、このままだと、元ウトのリタイアを待たずに
あの「ねね県」で「あの元ウトメと同居」だと、危機感を感じた。
長々しい駄文しか書けなくて、すみません。
でも、続きます!!
また「年末のねね県帰省」の事でケンカ。
この時、はっきりと元エネ夫に言った。
「私は、ねね県に住むつもりは毛頭無い。
あなたが、このままサラリーマンを続けてくれて
あのねね県に帰らない、あの150坪の土地にも
住まない、と、そう約束してくれるなら年に2回の帰省だけは
我慢するけど、それができないなら、離婚して欲しい」
と。
元エネ夫、言ったね。
「ボクは、あの家・会社を継ぐ為に育てられたから、
ねね県に帰るのは、絶対だから」と。
続けて、元エネ夫曰く
「2月に友達(私達共通の友人)の結婚式があるから、
それまでは、離婚は待って欲しい」と。
あ?
世間体がそんなに大事なの?
あぁ、そうですか。
いつも通りに「嫁」をやってきたので、元エネ夫は、
「嫁子ちゃんは、ほんとは、ボクと別れたくないんだ」と
楽観してたみたいだけど。
私の中では、2月の友達の結婚式が終わったら、
そっこ~で離婚に向けて始動の予定だったから、
「最後のお勤め」だと思うと、元ウトメにも腹が立たなかっただけ。
2月末。
「さて、5月の連休使って、それぞれの親に離婚の意思を
伝えつつ、ご挨拶に行く事にしたいんだけど、
都合つくかしら?」と、切り出すと、元エネ夫、泣きそうな顔で、
「嫁子ちゃん、ほんとにボクと別れるの?」と。
あったりまえだっつーの!!
私は、もう、決めたんだから。
あの時「家と会社を継ぐ」って、あんた言ったじゃない?
「はい、別れます。
慰謝料も何も要りません。
とにかく、あなたの汚実家とのご縁が切れる事が
今の私の一番の望みですから」
gkbrすぎる・・・・
正解っ!を思い出した。テンポ悪く引っ張るとこも似てるし、同じネタ師か
「5月に挨拶に行くからって、元ウトメに連絡しておいてよ」と
言ってあったのに、
結局4月末になっても、元ウトメに連絡してない事が発覚。
慌てて、元エネ夫に、元ウトメに電話を入れさせた。
渋々、電話をかける元エネ夫。
「あ、おやじ、連休に帰るから」とだけ言って、世間話してるから、
途中で、受話器取り上げて
「お父様、お久しぶりです。
私達、離婚しますので、うちの父と一緒に5月の連休にご挨拶に伺います。
日程調整、よろしくお願いしますね」と言ってやった。
元ウトは、受話器の向こうで「嫁のくせに、ふじこふじこふじこ」と、
ふじこってたけど、無視して、元エネ夫に受話器返してやった。
ざまみろ。
私の実家に「もう、離婚決めた。離婚後は、そっちに帰りたいけど、良い?」と
連絡した時には、父が静かに「自分が決めたなら、そうしなさい。
こっちは何とでもなるから」とだけ言ってくれた。
5月の連休に「ねね県」に挨拶に行く事も「当然、義理は通す」と
快く応じてくれた。
ほんとに、自分の親だけど、良い人だと思った。
ほんとは、外で会いたかったけど、
あっちが譲らないので、義実家へ行った。
元ウトの最初の言葉。
「二人が決めた事なら、わしらは何も言う事は、ない」
だった。
にもかかわらず、その後3時間、元ウトの独壇場。
3時間の元ウト語録。
・嫁なら、毎日、ご機嫌伺いの電話をするもの。
・盆と年末しか来なくて、嫁貰った気がしなかった。
・ムチュコタンには、もっと地元でふさわしい嫁を貰うべきだった。
・孫も産まれないし(おまえらの遺伝子なんていらん、だから、、
ず~っと作らなかったんだよ!!)
・仕事したかったから作らなかった?(おまえらには、内緒でず~っと働いてたんだよ!!)
・とにかく「側に居ない嫁なんて、イラネ」
毎日、側に居るのが嫁だ、嫁子じゃ、嫁、貰った気がしなかった。
ってな事を、言い換え言い換え、しつこくしつこく3時間、しゃべりやがった。
元トメも元エネ夫も、ち~んと座って黙って聞いてるし。
私は、出発前に、父から「もう、これで最後の禊ぎになるから、
何を言われても、口答えするんじゃないよ」と、言い含められて来たので、
ぐっと、我慢して聞いてやった。
どこまでも続く上から目線のお言葉。
それを聞いても何も言わない、元エネ夫。
電車の時間が迫ってきて、やっと解放された。
最後に、玄関に見送りに来た元トメが
哀しそうな声で「嫁子ちゃん、ごめんね」と言ったけど、
「もう遅いわ、ぼけっ」と、心の中で毒づきつつ、
「こちらこそ、至らない嫁ですみませんでした」と
言ってやった。
ネタに思えるくらい変な家だったかも。
その後、
元エネ夫との共通の友人から聞いた話。
離婚した年のお盆に独りで帰省した元エネ夫。
親戚から「今年は嫁子ちゃんは?」と聞かれたらしい。
自分が何か言う前に、元ウトメが、
「体調崩してて来られないから、首都圏の家に残ってる」と言ったらしいorz
親戚からは「まぁ、ひょっとして、おめでた?」とか言われて困ったらしい。
ざまみろ~!!
それにしても、離婚したって親戚に言ってないの?
余計に「ムチュコタンが恥かく」って、わかってないのね。
関東住みだけど娘には富山出身の長男とは絶対結婚させまいと思った。
ありがとうございました。
あれから数年が経ちましたが
もう、結婚はこりごりなので、離婚後とった国家資格活かして
独り身で、バリバリ働いてます。
ここに吐き出させていただき、
すごくすっきりしました。
あなた出来た人だね。
私なら3年も待たずに暴言吐きまくって離婚してたと思うよ。
忍耐強く大人な対応できるあなたならまたいい出会いがあるよ。
でも今度は富山県民は選ばないでね・・・
慰謝料は、もらっていませんが、
首都圏からの引っ越し代は、元エネ夫に払わせました。
確かに、自分、大物エネmeだったのかも。
それでは、消えます。
ありがとうございました。
乙!
これからは良いことが沢山ありますように。
逆に言えば物凄く温厚な人で争いを好まない人とも言える。
今度何か縁があったときは見る目をしっかりもって
良い人見極めてね。おつかれ。
慰謝料なくても大丈夫。
変な男と縁が切れたからこれから運が上向いてくるよ。
引用元: ・【enemy】真のエネミーは義実家ではなく配偶者120【敵】
※その2※
お見合いして
向こうの両親から娘がものすごく気に入ってるみたいだが
恥ずかしがって自分から口に出せない
男ですし貴方の方から言葉にしてくれませんか?って言われて
プロポーズしたら
ガチ泣きしながら両親の事業に俺の親父が出資していること
俺の家柄や経済状況、家族には何の不満もないことを必死に伝えられた上で
『ただ貴方が嫌い』と言われた俺が通りますよ~