
小学生だったころ夏休みや冬休みになると母方の田舎に帰省していた
母はすぐに家に戻り俺だけ祖母に預けられる
長い時は2週間程は預けられていた
見知らぬ土地で友達がいない、ぼっちだった俺は近所の『お宮』に行き、独りで遊ぶのが日課だった
お宮と言ってもそんな大層な神社ではない、何十段もある石段の頂上に古ぼけたお社がポツンとあるだけだった
いつの頃か正確には覚えていないが、お宮で地元の女の子と遊ぶようになった
それが今の嫁である
自然に毎年のように交流を繰り返していたが、俺が小5のときに祖母と同居することになり、嫁との交流は一旦なくなる
だが祖父の墓があったので、田舎へは墓参りの度に訪れていた
それを期に祖父の墓を俺の実家のほうへ移すことになった
墓を移すのに必要な手続きを取るために田舎へ訪れた俺は、祖母の家が懐かしくなり足を運んでみた
いざ足を運ぶと、そこは月極駐車場になっていた
ショックでしばらく立ち尽くしていたと思う
祖母の家は袋小路の途中にあり、そんな所に来るのは地元住人くらい
おばさんが不審に思ったらしく、俺に声をかけてきた
理由を話したところ、おばさんは大変懐かしがっていた
そのおばさんは昔、休みの度に訪れていた俺を花火やプールに連れて行ってくれたおばさんだった
その人は嫁の母でもあった
義母から近況を訪ねられ、お茶をご馳走になり、更にはお土産まで持たせてもらった
俺はバイクで来ていたので、持って帰るのは難しいと伝えると、ポーターのリュックを貸してくれた
下宿先に戻った俺はお礼の電話をした
その時に電話に出たのが嫁だった
約10年ぶりだったので特に会話もなく、すぐに義母に代わってもらった
この時も嫁が応対してくれたのだが、義母は入院してい不在だった
急に伺ったので確認しなかった俺がいけなかったのだが、義母本人に直接お礼をしたかったので、嫁から病院の場所を聞いたら
これから見舞いに行くと言うので、病院で落ち合う事にした
病院に顔を見せたとき、義母はびっくりしていた
その日、義母は俺と嫁に昔話をしてくれた
嫁が小さいころ、夕方になっても戻ってこない
心配した義母は近所に聞いて周ると、お宮で見かけたという
だがお宮まで探しに行っても嫁は見つからない
義母は警察に届けるか迷っていた時に近所の人が嫁を発見した
お社の裏はちょっとした山になっていて、しばらく進むと赤土の崩れやすい斜面に出る
そんな危険な場所で嫁は発見された
しかも俺付きで
その時のことは微かだが祖母に怒られた記憶がある
義母も俺たちをきつく叱り、そのあと二人とも抱きしめたと言っていた
当時の下宿先からはバイクで30分程の距離だったので、また来ますよと早く元気になってください、暇だったら電話してくださいと連絡先を教えた
実母は義母とは顔見知り程度の関係だったが祖母と交流があったので、実家から下宿先にお見舞いの品を送ってきた
その後も何度か病室にお邪魔した
義母は果物を持っていくと喜んでくれた
病院食は意外に美味しいだとか、俺が小さいころに何処へ一緒に遊びに行ったとか聞かせて貰った
嫁は毎日のように病室に来ていたのでほぼ100%の確率で嫁と遭遇した
バイクで家まで送ることや、メールで相談にのることもあった
嫁が一度だけ電話で不安をブチまけてきたことがあった
義母の闘病生活、将来への不安、学校〜病院〜自宅を行き来する毎日にストレスが溜まっていた様子だった
そんな嫁の支えになりたいと考えて交際を申し込んだ
嫁が受験勉強や家事で忙しかったので、デートといえば病院から家までの帰り道だけだった
嫁と交際を始めたことは義母に真っ先に伝えた
とても喜んでくれたことは嬉しかったが、日に日に義母がやつれていくのを見るのは辛かった
それでも嫁と俺は病室では明るく振舞っていた
その頃から嫁とは毎晩のように電話をした
時には泣きながら電話をしてきた
嫁にはあえて聞かなかったが、俺もなんとなくは悟っていた
それからすぐ義母は亡くなった
義母が嫁と俺が無事に結婚してくれたら嬉しいと義父に語っていたことを嫁に話したそうだ
義父から俺に娘をよろしくお願いしますと頼まれた
そんな義父の気持ちが嬉しかったし、義母がいないのが悲しかった
献花のときに泣き崩れた嫁を見て俺も涙が止まらなかった
その後の嫁は第一志望でないにしろ無事に大学生になった
相変わらず家事で忙しかったけれど、俺もできる限り協力をした
喧嘩をして別れ話に発展したこともあるが、そういう時は義母を思い出して思い留まった
こうして義母の願い通りに嫁と結婚、結婚報告は一番最初に義母の墓前に報告した
今日はお盆、迎え火で義母が帰ってきた記念カキコ
義母にはこれから一ヶ月間ゆっくりしていってもらいたいです
末長くお幸せに
宗派によって違うのかもしれないが、お盆に戻ってくるっていつよ??
と思って、大学生の頃、坊さんに聞いたことがある。
あたりさわりのない「朝」とか、「日が昇ったら」とかという答えを想像
していたら
「午前11時頃です」
と答えられて、親戚一同ビックリした覚えがある。ちなみに浄土宗。
毎年、その次期になると午前11時かあ、と思い出す....
引用元: ・【昔を】みんなの馴れ初めをおしえて【思い出して】 その7