少しずつ書いていきますので、後学のためにご意見いただけると嬉しいです。
なおスレ立て初めてなので、不具合とかあるかもしれませんがご容赦ください。
まずは簡単ですがスペック。
俺、地方公務員。離婚当時35歳、年収500。つい最近分かったんですが、ASDグレーゾーンです。
元嫁、医療関係。離婚当時32歳、年収500。
結婚相談所のマッチングで知り合い、交際1年4か月で結婚して同居を開始。
その後5か月で元嫁が手紙を置いて出ていき別居開始、更に5か月後離婚成立。
子なしだったので養育費の問題は発生せず。
話し合いの段階で双方離婚には合意し、慰謝料や財産分与のことも全く決めずに離婚届を提出、その後双方動かなかったので調停も裁判も一切なし。
因みに慰謝料・財産分与とも時効成立済みです。
交際期間中も連絡はメールだけとか、返信に各々1日ぐらい間が空くとか普通でしたが、お互い文句の一つも言わず過ごしてました。
物欲もお互いなく、「誕生日、何か欲しい物ある?」とか聞いても、「特にないから、代わりに一緒に食事しよう」でお互い済ませてました。
結婚式も新婚旅行もほとんど最小限の出費。まあ式には、呼ぶ知人の心当たりがお互い少なかったというのもありますが・・・
俺はそれまでの間に2桁以上マッチングしてて(因みに親が入会させてたのを「行ってきな」と言われたのに従ってた面が強い)、「そろそろ結婚する歳かなぁ」と思ってたところ、ものすごく自分と似たタイプの相手が現れて、「一緒になるならこの人かな」と思って結婚することにしました。
ところが、そこで最初の違和感が。
何の話かは告げないまま待ち合わせたある日、「結婚を前提に今後もお付き合いしてください」と言ったら、元嫁は即答で「はい」と答えました。
嬉しい返事ではあったのですが、そういう話をすると伝えていなかったのに即答されて、こっちが戸惑いました。
俺の家は「結婚は家同士の付き合いでもある」という考えなので、当人だけで決めるものではない、少なくとも親に反対されていてはできないと思っていたのです。
「とりあえずご両親と話して、それでもOKならそう返事して」と、一旦受け取りを保留しました。
その後、同日夕方に元嫁からはOKの返事が来て、婚約・結婚の運びとなりました。
これ読んだだけで親依存の男だと分かるね
どうせ親がらみのトラブルだろ
結婚後、色々とすれ違いが起こっていくわけですが、それはまたおいおい。
まず最初のすれ違いは、結婚式当日。
式自体は滞りなく終わったんですが、事件は夜起きました。
入籍日も同じ日にしていたので、名実ともにそれが結婚初夜。
当然、「そういうことするんだよな・・・」と、何と声かけて始めたらいいかと緊張して過ごす俺。
夜10時だったか、元嫁が声をかけてきました。
「おやすみなさい」と。
「え・・・」と呆気に取られる俺。
実は俺、その当時は役所の中でも有名なほどの多忙部署にいて、超夜型でした。
毎日終電は当たり前、9時なんてまだ宵の口、10時でやっと夜本番、11時も後半で帰りの電車に乗って帰宅、それから風呂と飯を済ませて就寝は1時過ぎ、なんて日が平日の半分くらいは占めていました(しかも6年以上)。
だから、特に何もない日でも、10時では全く眠くなかったんです。
それは結婚相手の境遇として非常に大事だと分かっていたので、「アニメ(と特撮)が趣味」ということと合わせて、「平日は毎日深夜まで仕事、休日は反動で使い物にならない」ということは明言した上で、「それでもよければ」と交際・結婚していました。
一方の元嫁は、毎日夕方5時上がりの健康的な生活。当然、10時頃には眠くなるわけです。
そんな当たり前のことにその時やっと気づきながらも、「まあ式で疲れたんだろう」と、引き留めることもせず寝させ、俺も寝ました。
テーマごとに俺と元嫁とのすれ違いエピソードを書いていきます。
【家事分担の認識】
小学校時代に(男女両方からの)いじめられっ子だった俺は、中高は男子校で大学も圧倒的に男子が多い学科とサークルに所属してて、他人とつるむのも苦手だったから恋愛経験が限りなくゼロ。
実際の男女の交際がどんなものかを知らず、テレビや何かで見る、「一緒に買い物」「一緒に料理」というのに憧れていました。
平日は無理でも、休日に何とか元気を出して、そういう共同作業をしたいと思ってたんです。
結婚後のある休日、元嫁が「買い物行ってくる」と言うので、「一緒に行こう。荷物持ちぐらいするよ」と言ったのですが、「来なくていい」と言われてしまいました。
同じやり取りはこの後週ごとに行われるのですが、そのたびに断られるので、次第に俺も聞くのをやめ、「行ってらっしゃい」と見送るだけになりました。
料理の方は、もっと気を削がれました。
たまに早く帰れた平日とか、休日とかに、夕飯の準備をする元嫁に、「何か手伝おうか?」と声をかけながら台所に入ると・・・
「いらない!座ってて!」とキレる元嫁。
俺、手伝おうかって言って近づいただけなのに・・・
結局、食器出しと炊飯器のスイッチを入れるぐらいしかさせてもらえませんでした。
いや、5か月の中で1回だけ、パスタの湯切りでザルを持っていて欲しいと頼まれましたね。その1回だけですが。
家事分担でもう一つ、皿洗いについて。
料理はキレられましたが、これはまだ穏やかでした。
せめて片付けぐらいは俺がやろうと、早く食べ終わったら俺が洗うようにしていました。
が、日にちが過ぎてくると、そのうち「後で洗うから置いておいてくれればいいよ」と言われるように。
それでも「いや、やるよ」と強行していたのですが、そのうち「くれればいいよ」がなくなっていき、口調もぶっきらぼうに。
これもキレられるのが恐くて、そのうち任せるようになりました。
実は俺、ASD傾向の他に不潔恐怖の強迫性障害の気もあります。
どれくらいのものかというと、コロナ流行初期の2020年春頃に情報番組で流れてたような、「ここまで徹底的に手洗い・掃除しましょう」的なことを普段からしてました。
若干バラシになりますが、当時はコロナ流行よりも数年前で、そこまでの手洗い・掃除は傍から見れば異常そのもの。
それを異常と分かっていながらやめられないのが俺でした。
結婚後はできるだけ控えるようにしていたものの、同居していれば気づくもの。
「そんなところまで石鹸(洗剤)使わなくていい!」と叱られたこともありました。
それはごもっともなので、返す言葉はありません。
手の方は、ある日「手見せて」と言われて、荒れた手を見せると、「あまり洗うともっと荒れるよ」と忠告。
できるだけ石鹸は少なく、回数も減らすように努力することにしました。
実は、元嫁を「心配させたくない」という思いより、「キレられたくない」という思いの方が強かったんです。
元嫁は俺とは正反対で、トイレから出てきても手を洗わない(タンクの上の水が出てくるところで流していただけと思われる。というかそれはしていたと信じたい)。
そんな元嫁からすると、不潔恐怖な俺は気持ち悪い異常者に見えたのでしょう。30秒も手洗いしようものなら、「いつまで洗ってるの!」とかキレてました。
(俺が夜、自分の水筒を洗っているだけでも、「水の音がうるさい!ずっと洗ってるんじゃない!」と、わざわざ寝室から出てきてキレたことがあります)
ただ、風呂の排水口やトイレの掃除を自らやってくれたのは、不潔恐怖な俺からすると本当にありがたかったです。
しかし同時に、ある疑問も。
「ならば何故、洗面台に自分の髪の毛が大量に落ちてるのは気にしない?それで詰まっても放っておく?それを俺が掃除して流れるようになっても『流れよくなったね?』の一言もない?」
もう一つ、洗濯物の干し方も。
外に干して外出中に雨が降ると、「洗濯物どうしよう」と不安になることってあると思います。
俺も不安になる方で、一人暮らしの間は雨が恐くて晴れてても部屋干ししてますが、元嫁の考えは違いました。
「ベランダに干しておけば、庇があるから降り込んでこないからいいよ」とのこと。
あと、いつの間にかホコリが溜まりがちなベランダの壁面・底面に洗濯物が触れるのも、「そんなの気にしなくていい」。
少なくとも乾くまではホコリに触れさせたくない俺にとっては、受け入れがたい感覚でした。
対策として俺は、俺の洗濯物だけ先に回収し、自室に部屋干しすることにしたのでした。
俺も元嫁も口数が少ないのは結婚前から分かっていたけど、結婚後はそれが深刻な問題になりました。
何故なら、交際期間中は、結局は双方の実家に別居していて、ほとんどの時間を離れて過ごしていたから。
週末に一度、数時間会うだけなら、1週間にあったことを話しあったり、次会う時は何しようかとか、色々ネタもありますが、毎日顔を合わせるとなると、そんなネタもすぐ尽きるわけです。
向かいの席に座ったまま、とにかく沈黙が流れるだけの場。そんな状態は朝食時も、休日の夜も続いていきます。
俺はノートPCでゲーム(某艦隊シミュレーション)、元嫁は読書かスマホでスーパーのネットチラシサーフィン。テレビはつけてるものの、番組について感想を言いあったり、笑ったりすることがあったような記憶はほとんどありません。
「なるべく一緒にいよう」という気持ちが最初はありましたが、お互い無口・無表情で自分の手元ばかりを見ていることが続くうち、俺には「監視されているような感覚」が芽生えてきました。
その感覚に次第に疲れを覚えていった俺は、「元嫁が買い物に行っている休日の日中、門限(夕方6時)まで一人で家を空ける」という行動に出るようになります。
毎回「出かけてきていい?」「いいよ」のやり取りをしていたので、俺は元嫁に認められた行動だと思っていました。(が、これが後に大事件のきっかけとなります)
何度も長々手洗いとか見てる方だってストレスだよ
結婚にあたり、俺は俺名義で、新居から一番近い地銀に夫婦共用口座を作りました。
それをキャッシュカードと銀行印と一緒に手提げ金庫に入れて、「お互いの給料からこの口座に入れていこう」と合意。
暗証番号も元嫁に教えて、金庫には鍵もかけません(ただの「お金関係の保管場所」の意味で買った金庫なので)。
この口座に入れたお金を生活費として、家賃・光熱水費や日々の買い物に使おうという趣旨です。
将来に向けての貯金は、「とりあえず保留にして時期が来たら考えよう」ということにしました。
元嫁からは「お互い月10万ずつ入れて、残りはそれぞれ自由に使うってことでいいんじゃない?」と提案。
当時は俺も、2人分の生活費というものがどれくらいかかるのか分からなかったので、「それでいいよ」と了解しました。
ただ、上に書いたように、俺は月何十時間も超勤する身。「本当はものすごく高い給料貰ってるんじゃないか(もっと共用口座に入れるべきじゃないか)」と疑念を持たれるのも嫌なので、毎月給与明細を元嫁に見せ、かつ金庫に保管しておくことにしました。
(続きます)
と、名義は俺でも、目的は共用だった口座なんですが・・・
毎月10万円入れるのと同時に通帳記入すると、家賃と光熱水費、NHK受信料が引かれていたのと、その時俺が入れた10万円の分しか、追加記帳がないんです。
つまり、元嫁は口座から出しもしなければ入れもしていなかったんです。
「お互い10万円ずつ入れよう」という約束は、離婚するまで一度も履行されず。
「この口座使わないの?」と聞くと、「わざわざ自分の口座から移して使うの面倒」とのこと。
食材や日用品の買い物は、元嫁が自分の口座のお金から出費する形になりました。
せっかく作った共用口座ですが、原資は100%俺。引き落とし設定してしまったので、光熱水費とNHK受信料、そして14万円弱の家賃を落とすために、俺は毎月10万円をその口座に入れ続けるのでした。
※補足です。
「家賃14万円弱だと10万円入金じゃ足りないのでは?」と思われるでしょうが、結婚式の費用(300万円ぐらい)は双方の親が半額ずつ全部を負担するということを親同士で決めていたそうで、一度俺の個人口座から式場に一括払いしたのが、双方の親から共用口座あてに振り込まれていました。
それを取り崩す形で、離婚まで10万円入金でも足りていました。
同居して1か月も経たない頃。元嫁が「お湯が出ない」と訴えてきました。
見ると、台所の蛇口からは細めの水が流れている・・・
俺、「ある程度の量を10秒くらい出しっぱなしにしないとお湯になって出てこないよ」とアドバイス。
すると元嫁、「そんなわけない!うちの実家のお湯はすぐ出る!」とややキレ気味。
因みに俺の実家では、ある程度水を出さないとお湯は出ません。
その後何とか台所のお湯は出たものの、翌日。
「風呂のお湯も出なくなった」と、職場にいる俺の携帯へ元嫁からメール着信。
「近くにスーパー銭湯があるみたいだから風呂はそこに入ってきて」とも。
信じられない俺、超勤後の深夜普通に帰宅し、風呂の蛇口をひねる。お湯は普通に出る・・・
翌朝、「普通にお湯出たよ?」「嘘!?とりあえず今日業者呼ぶ!」みたいなやり取り。
そして、業者に見てもらった結果は帰宅後明らかに。
「故障じゃなかった。ちょっと水出したままにしないと給湯器の火がつかないんだって」
「(・・・いや、俺そう言ったよね?)」
お湯が出なくなったというのは完全な誤報でした。
因みに元嫁が言っていたスーパー銭湯は、その後近くを通ってみたんですが潰れてたみたいです。
廃業してもグーグルマップには残ってただけの模様。
同居を始めるまで気づかなかったんですが、そこのトイレには温水洗浄や暖房機能のついた便座がありませんでした。
実家にいる時は当たり前に使っていたので、ないと気づいてから「何とかしたい」と思っていました。
ある日、そんな俺の心を見透かしたように、ポストにチラシが。
管理会社とも提携している業者で、設備改変の手続きを簡略化できる上に少し安く設置してくれるというキャンペーンをしているとのこと。
早速元嫁に「俺が金出すから、申し込んでいい?」と相談する俺。元嫁、「いいよ」とすんなり了承。
かくして3万円少々の出費をして、実家並のトイレ環境が整ったわけですが、数日後。
「便座の電源、出る時に切るようにして」と元嫁。
曰く、「私は使ってない。電気代がもったいない」とのこと。
座る頻度は元嫁の方が高いし、その時に言う通りにしていないことがバレるとまたキレられるので、
「・・・分かった」と、使う時だけ電源を入れるようにしました。
このやり取りがあったのはまだ暖かい頃だったのでマシでした。
そう、「まだ」「マシ」でした。
【食べ物の消費期限】
傷みが早い食品についている「消費期限」。人それぞれ、敏感だったり緩かったりすると思いますが、俺と元嫁の間でも違いがありました。
「電気代がもったいない」と暖房便座の電源を切らせたことから察せられるように、元嫁はかなりのケチ。
食品の買い物でも、「安いかどうか」を非常に気にしていました。
共感できる範囲であれば、「やりくり上手ないい嫁」と思えたのですが・・・
当初、袋詰めの1斤6枚切りの食パンを朝食用に買って、1人1枚ずつ食べていたのですが、朝食としてはやはり物足りないと感じるようになっていたある日。
「5枚切りか4枚切りにしない?朝はもうちょっと食べた方がいいと思う」と俺は提案しました。
すると元嫁、「(元の斤数は同じなんだから)割高じゃん」。
結局、いつまで経っても食パンは6枚切りのままでした。
同じく朝食で、飲み物は俺はコーヒーの牛乳割り、嫁は牛乳とジュースの2本立て。
2人とも牛乳を飲むのですが、合わせてもせいぜい1日200ml弱です。
それ用に元嫁が買ってきた牛乳は、毎回1L物。
しかもまだ飲み切るまで3日ぐらいあるのに、次のを買ってきたりしました。
記載されている消費期限までには(期限の前日か当日ぐらいに)開封しますが、開封してから飲み切るまで1週間弱。
「開封後は消費期限にかかわらず早めにお召し上がりください」とあるのに、消費期限を4〜5日過ぎるまで飲み続けなければなりませんでした。
「飲み切るのに日数かかりすぎるから、小さいのをこまめに買うようにして欲しい。何なら俺が買ってくる」と提案すると、
「割高じゃん。1週間ぐらい大丈夫だよ」と。そして自ら1L物を次々と買ってくるので、「小物を買ってくるな」という暗黙の命令のように俺には感じられました。
俺は胃腸が弱く、タンパク質腐敗の腹下りはしんどいと聞いていたので、この提案却下は恐怖でした。
実際に下ったことはありませんでしたが、本当に怖かったです。
またある時。夕食にラーメン用の丼が出てきました。中身は「もやしの味噌汁」。
それこそ麺の代わりにもやしが入ったラーメンみたいな感じです。それが「おかず」として出てきました(つまり米とかは別で有り)。
元嫁曰く、「もやしが安かったから」と大量に買ったので、その在庫処分だそうです。
しかし、少食の俺には大食いチャレンジにも思える量。食べるうちに苦しくなってきて、そのことを訴えると、
「もったいないから全部食べて!」とのお叱り。
「(だったら安いからって大量に買うなよ・・・俺が少食なの知ってるだろ・・・)」
元嫁自身も努力して全部片付きましたし、俺もその後体調崩したりしませんでしたが、小学校の給食でも同じような経験をした(多い量を食べるよう強いられた)俺にとっては、悪夢の再来のような出来事でした。
毎日の朝食の内容は、食パン1枚とヨーグルトと果物1種類(1個を2人で分けて)でした。
ヨーグルトは最初プレーンのものを3日ぐらいで空けていたのですが、あまり食べる習慣がなかった俺に、当初元嫁は、
「果物と一緒に食べるか、砂糖を入れると甘くて食べやすいよ」と教えてくれました。
酸っぱいのが苦手で甘いのが好きな俺は、砂糖は入れるなら大量に入れたい派。
気づけばフルーツ皿1杯のヨーグルトにスプーン2杯くらいの砂糖を入れるようになっていましたが、ある日入れようとすると、
「ストップ!入れすぎ!」とお叱りの声。
確かに2杯は入れすぎかと思いましたが、「ほんの少しだけでいいよ」と、数分の一までに制限されました。
でも、「(俺の健康を気にして言ってくれてるんだよな)」と、これに関しては素直に受け入れました。
が、制限はその後もう一つ出てきます。食パンに塗るバターです。
俺は熱で溶けたバターはくどい感じがして好きではなく、溶ける前の塩味が感じられる状態のものが好きで、パンには1列「置いて」食べ、そこを食べきったらまた1列置いて、というのを繰り返していました。
それを見咎めた元嫁、「バター塗りすぎ!延ばせばほんの少しでいい!」とキレる。
その頃、別のすれ違いのせいで、朝食ぐらいしか家での楽しみがなかった俺、遂に朝食の楽しみすら奪われました。
その俺の目の前で元嫁は、少しのバターと大量のジャムをパンに塗って食べ、もちろん砂糖の入ったジュースを飲んでいました。
因みに俺はこの時期含め、身長165〜170cm程度、体重52〜56kg程度。検診でも血糖値とか引っかかったことはありません。
受動型自閉ってやつか
>>25
そうなんですよね・・・異性との付き合いがほぼなくて、「言うことを聞くこと」イコール「相手を大事にすること」と勘違いしてました。
考え方が違って当然なんだから、ケンカしてでも本音で語って、歩み寄れればよかったんですよね(ASDグレーゾーンの俺に、それができたかは置いておいて)。
全ての事が終わるまで、俺は勘違いし続けたままでした。
受動型に該当するであろうことは(最近ASDのことを調べる中で)自覚しましたが、うまくいかなかった原因はそれだけでもないと思っています。
今回ですれ違いエピソードは最後になりますが、一番苦しかったエピソードです。
これまで以上に長くなってしまうと思いますが、本当に辛かったのでその思いを綴ります。
俺の実家は結構古くて、断熱素材が普及する前に建った家なので、冬になるとかなり冷えました。
そのため、実家には電気カーペット・ガスストーブ・電気ストーブ・ハロゲンヒーター・セラミックヒーターといった暖房器具が多数あり、随時大活躍していました。
そろそろ寒い季節になろうかというある日、その実家から、「首振りできる電気ストーブあげようか?」と提案がありました。
元嫁に「実家からこう言われたんだけど、もらう?」と相談すると、「いいよ」と快諾。
数日後、実家からストーブをもらい、早速リビングに設置しました。
広いリビングの割に2人ともいる場所は限定されているので、加熱範囲が狭くても暖かい電気ストーブの方がいいと思いました。
(続きます)
ところが、数日後。
「ネットで調べたんだけど、電気ストーブってエアコンよりずっと電気代高いんだって」
元嫁がスマホ片手に言ってきました。
それは事実なので「うん」と返すしかない俺。
すると元嫁、
「だから電気ストーブは原則使わない。使うとしても、エアコンが効くまでの5分ぐらいの間だけにする」
・・・俺、一瞬思考停止。「(だったら何で「いいよ」って言った!?)」
せっかく実家からもらった電気ストーブの使用を、もらってすぐ禁止されたのです。
それでも、エアコンで十分暖を取れればよかったのですが、元嫁は設定温度をかなり低めにして電気代を抑えたがり、しかも「自動」にしてるので省エネのためにすぐ暖風は止まり、更に少し温まったら元嫁がすぐに電源を切るので、全然暖かくありません。
それどころか、広いリビングを通ってくる間に、エアコンから発せられた暖風は冷え切って、冷風となって足元をさらっていきます。
本格的に冬が到来し、「寒い・・・」と呟く俺に、元嫁はキレます。
「寒かったら厚着すればいいじゃん!セーター着て靴下履けばいいじゃん!私はちゃんと着てるから寒くない!」
それで寒くなくなれば、俺もそれ以上言いません。
5枚ぐらい着ても、靴下を二重にして履いても、腹と背にカイロを貼っても寒いんです。
目の前の元嫁は、そんなに着ているようには見えないし、細身だから寒さに鈍感ということもないだろうに、どうしてこんなに体感が違うのか、最後まで理解できませんでした。
(まだ続きます)
しかし、電気ストーブはリビングに置いてあるので、元嫁のいない時であれば使用可能。
平日は元嫁が寝るまでは帰らずにファミレスなどで飲み物で暖まり、11時を過ぎて元嫁が寝た後にそっと帰り、電気ストーブで暖まるということをしばらく続けました。
そんなある日。
いつものように11時過ぎに帰ると、電気ストーブがありません。
翌朝、元嫁に聞くと、「使わないのに出しっぱなしだとホコリ被るから、寝室のクローゼットに仕舞った」。
俺、愕然。
まさか「俺は使ってるんだよ!」とは言えません・・・言ったらブチギレられるのは明らかでしたから。
俺の「命の火」は、こっそり出して使うことなど到底できない場所に封印されてしまったのです。
それから俺は、自前で卓上用ファンヒーターを買って足を暖めたり、より小型の電気ストーブを自前で買って自室に置いて出勤直前や就寝直前に暖まったり、といった行動に出ました。
元嫁にそれがバレたら、「だったらすぐ寝ろ!」とか言われそうでしたが、すぐ寝たとしても、布団の中も寒いんです。
手と足にカイロを抱いていても、それでも寒いんですから。
ある時は、風邪も引きかけました。
が、俺はそれを元嫁に隠しました。
夫が風邪を引いたなんて、妻として健康管理ができていなかったことと同じだと、元嫁にそんなことを思わせては可哀想だと思ったんです。
俺はファミレスでドリンクバーを注文して、熱い飲み物に砂糖を大量に入れて、2〜3時間だるさと戦い、何とか引きかけの風邪を追い払いました。
(もう少し続きます)
某ハウスメーカーのCMに歌われていたような、「あったかい我が家」は、当時の俺にはありませんでした。
玄関に入った瞬間は外気に比べて暖かく感じても、すぐに寒気を覚える冷たい屋内。
風呂場で手桶に溜めたお湯に両手足を突っ込み、ジーンと伝わってくる暖かさに「ああ、俺、生きてるんだな」と思いながらも、浴室から出ればすぐに手足は氷のように。
自宅だけでなく、職場にいても、両手足から熱が逃げていく感じがしました。
それ以前の、実家から通っていた年には感じなかった、「生気が抜けていくような」感じ。
同僚とかに「新婚生活、どうよw」と聞かれれば、「2人の間の空気が物理的に冷たい・・・」と呟く俺。
同僚たちは「は?」と不可解な顔。事情を話すと、「電気ストーブの電気代なんて月1万円くらいだろwそれくらい超勤で稼いでるんだから使えばいいじゃんw」とありがたいお言葉。
しかし、元嫁のキレっぷりを何度も見てきた俺に、それをぶつける勇気は、もうありませんでした。
何を言ってもキレて聞かない、記念日やイベントの過ごし方やプレゼントの希望を聞いても無表情・無感情に生返事を返す元嫁。
部屋は寒いし、相手の素振りも冷たいし、俺は「家に帰りたくない病」になっていました。
そんな俺が、一度だけ、勇気を出してみたことがありました。
「帰った後どうしても寒いから、電気ストーブ使わせて欲しい」と、元嫁に頼んでみました。
「・・・どれくらい?」と、明らかに不機嫌な元嫁。
本当の要望を伝えてはキレられるのが容易に推察できる様子だったので、俺は答えました。
「・・・1時間ぐらい」。本当は2時間許して欲しかったのですが。
すると元嫁。
「ダメー!!絶対エアコン!!」
史上最高に激ギレしました。
「あれメチャクチャ電気代高いんだよ!!寒かったらエアコン使うか、服着ればいいじゃん!!」
そのキレっぷりに、俺は「・・・分かった」と要望を引っ込めました。
そして悟りました。
「(ああ、この子は俺がこんなに苦しんでるのに、俺の健康より金の方が大事なんだ)」
その電気代は、100%俺の給料から負担してたんですが・・・それを武器にすることすらできなかった俺も大概ですけどね。
次からは、別居直前から別居期間中までの出来事を書いていきます。
都合により今夜は寝ます。
普通の服の上にフリース上下、ダウンコートと綿入りズボン着て足元はスノーブーツ
寝る時は高機能毛布を掛敷両方使ってぬくぬく
そういう物を買うのも許されなかったという事?
>>33
そこまでではないけど、近いことはやってましたね。
正直、胴体や腕・脚はそれほどでもないんですが、末梢である手足がとにかく冷える。
詳しくないし正確に測ってはいないんですが、多分朝食のカロリー数が少なかったんで代謝が落ちてたんでしょうね。
カイロを腰に貼っても貼った部分以外は全然暖かくないので、血流も相当悪かったんでしょうね。
自分の放熱を保温する効果には期待できず、外から(お湯やヒーターで)温めないと、暖かさを感じられなくなっていたんです。
それでも厚着で解決しようとすると・・・外より家の中の方が、倍くらい厚着することになったでしょうね。
時期は年末頃。
通勤時間の関係で元嫁の方が早く家を出るのですが、俺は2か月ぐらい前から毎日、「今日も遅くなるかもしれないから夜は要らない」と言って見送っていました。
それまでの経験で、「早く帰れると思ったのにその日期限の仕事が入って遅くなる」ということがたびたび起こる職場だったので、本当に何もなさそうな時期以外は、そう言うことにしていました。
そしてその通りに仕事が入れば仕事をするし、早く上がれれば深夜まで時間を潰して帰る。
そんな毎日を送っていました。
夜道を歩きながら、「同居してみてから結婚を決めればよかった」「冬の間だけでも実家に避難しようか」「仕事を辞めて専業主夫になって、俺が家事を仕切ろうか」など、色々な思いが巡りました。
しかし、俺はその全てを封じました。
「もう結婚したんだから後悔しても仕方ない」「専業だって楽じゃないのは(専業だった母の背中を見てきたから)分かってる」「俺たちは夫婦なんだ。実家に避難するのは逃げだ」と。
コロナ流行前の当時、職場の忘年会も普通にありました。
その中で俺に話しかけてくる人たちは、「新婚生活、どう?w」と聞いてくるのと同時に、大抵ある一言を言ってきました。
「痩せた?」と。
ある人などは「夜頑張りすぎか?w」とか言ってきましたが、俺が「いや、そういうことしたことないんで・・・」と言うと、周囲含んで皆驚愕。
そう、俺たち夫婦は、終始一貫してレスでした。
どちらから誘うとも拒否するともなく、一切そういう話をしないまま離婚まで過ぎました。
「さすがにそれはマズイだろ!」「今日帰ったら何も言わずに押し倒せ」と何人もの人に言われましたが、あの怖い元嫁にそんなことできません。
結局、彼らの忠告は聞き流してしまったのですが、ここで彼らの言う通り何か行動していれば、まだ違う未来があったのでしょうか。
書き終わるまで読んでるけどその同僚たちキモいな
「正月、うちの実家に挨拶に行く?」と、珍しく元嫁から内容のある話題を振ってきました。
「そのつもりだけど」「その時、昼に一緒に鍋囲まないかって親が言ってるんだけど」「そうなの?よければ是非」「分かった。親に伝えておく」
俺たちの住所からそれぞれの実家へは(方向は逆ですが)近く、自分たちの実家にはお互い時々帰っていたのですが、義実家に行くのはこれが初めてです。
(両家顔合わせや結納は、それ用に別の場所をセッティングして行いました)
この時俺には、ある考えがありました。
「(もし実家で暖房効いてたら、『実家ではあんなに暖かくしてたよね?』って言える。そうすればこっちでも電気ストーブを使わせてもらえるかも)」
しかし、その期待は裏切られました。
元嫁の実家は、最初に通された客間ではガスヒーターをつけてもらえたものの、鍋を囲むダイニングでは暖房なし。
やっぱり手足が寒かったです。
「(こんな環境で育ったから、あんなに寒くても耐えられるのか?)」
作戦失敗に気落ちする俺。
でも、いいこともありました。
その日1日、元嫁は終始上機嫌で、結婚前によく見た笑顔をたくさん見せてくれました。
地元ということで気が楽だったのか、近所の思い出などを笑顔で話す元嫁。
「(やっぱり本当は怖い子じゃないんだ。家にいられるくらい暖かくなったら、色々話し合おう。それまで、春まで我慢だ)」
その日の夜、まだ楽しそうな余韻の残る元嫁に、俺は尋ねました。
「今日のご両親、いつも通りだった?俺に気を遣って褒めてたってことない?」
「いや、いつも通りだったよ」
「そうか、よかった」
歓待してくれた義両親の態度が、そのまま俺への評価だったと安心しました。
しかし、ここにも俺と元嫁の違いが隠れていました。
それに気がついたのは、別居直後だったのです。
さすがにそれは元嫁さんに同情する
ASDにも色々な型があるみたいで、逆に「相手の気持ちを考えずに自分のやりたいようにやって相手が嫌な思いする」っていうパターンもあるそうです。
君は明らかに受け身タイプだよなあ
元嫁が悪い風に書いてるが、元嫁さんも相当苦しんだと思うよ
これは完全に男が悪い
別居直後、それは家族・知人らによく言われました・・・
もちろんそういう恋愛→結婚(行為含む)の描かれた創作物には多く触れていましたが、「現実と創作は別」という考え方が、悪い方に極まってしまっていました。
つまり、世間一般で考えられているほど重要なことだと、当時の俺は認識していなかったんです。(信じられないほどの無知だと思われるでしょうが、本当です)
それで元嫁に寂しい思いをさせたというのは、今なら理解できますし、申し訳ないと思います。
どこに問題があるのかしっかり考えないと対策が考えられないのでは
知識:夜の営みの重要性が分かっていなかった(今は分かります)
欲:創作物からの脳的刺激で満足させる状態に慣れてしまったのでかなり薄い(実際にしたいとは、長年自発的に思えていません)
自閉:どう切り出せば分からない。いつ切り出せば分からない。切り出していいのか分からない。そもそも話しかけていいのか分からない。可否にかかわらず相手にどう受け取られるのか反応が怖い(これはずっと変わりません・・・)
ところで純粋に疑問なんですが、「男の方から誘わないこと」と「女の方から誘わないこと」って、前者は悪で後者は不問なんでしょうか?
双方の自由意志で付き合い結婚したのだから、どちらが行動しなければ悪で、どちらなら不問ということはないと思うのですが・・・
>>41への逆ギレとかではなく、字面どおりの単純な疑問です。
「男女平等」をこんなところにまで適用してしまった無知な俺に教えてください。
頑張らない男性=努力が足りない、情けない
となるのが多数派の考えってだけ
主が男女平等だ!と考えるのは別に間違いではないけど、少数派で理解される事は少ないと思ったほうがいいと思う
それでも主としてはまた結婚にチャレンジしたいという気持ちなん?
気持ちがあるとしたら結婚相手に何を望むんだろ
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