感動
984: 名無しのがるび 2016/08/05(金)16:48:18 ID:TPa
ただただお人好しだった本家の伯父さん
どのくらいお人好しだったかというと、
婆さんが亡くなった時には、婆さん名義の土地を婆さん生家の従兄弟に盗られた
「婆さんが嫁いだ時にうちから持って行ったもんだから返せ」とお寺で葬儀の真っ最中に権利書を盗んで行った
親戚だから大事にしたくないと24せず
伯母さんがバスにひかれた損害賠償も請求せず、その時もわずかな治療費のみ
昔なのでバスも保険なんてなく、ひかれ損で、のちの通院費、治療費は1000万を超えた
実弟に田畑、土地、実印を盗まれ、借金の担保にされるも、実弟故にまたもや大事にせず
わかる人もいるだろうが、これはとある団体のバンクもグルで印鑑証明の不正などもあってかなり揉めた
同じ実弟が今度は伯父の家屋敷を担保にまたもや同じところから不正に借りて踏み倒し
伯父は亡くなる数年前まで借金を払い続けていた
お堅いところに勤めていた次男は行方不明
長男は今の今までわからなかったが、昔の事故で脳に損傷、軽度の知的障
これは民生委員の方が気付いて病院の手配をしてくれて発覚した
中学時代に学徒で召集され、工場で飛行機を作っていて、戦火を免れ終戦
帰って来てから地道に働いて、結婚したらすぐに伯母の事故、
後遺症に苦しむ嫁を支えながらがむしゃらに働いて晩年は伯父従兄弟と実弟のせいでお金の苦労ばかり
母とは20以上年が離れていたので自分にはお爺ちゃんのような存在だった
いつもニコニコと笑顔で接してくれた大好きな伯父
3回忌も過ぎて、もうすぐお盆
伯父の大好きだった濃いめのお茶でもお供えしてこようかな
どのくらいお人好しだったかというと、
婆さんが亡くなった時には、婆さん名義の土地を婆さん生家の従兄弟に盗られた
「婆さんが嫁いだ時にうちから持って行ったもんだから返せ」とお寺で葬儀の真っ最中に権利書を盗んで行った
親戚だから大事にしたくないと24せず
伯母さんがバスにひかれた損害賠償も請求せず、その時もわずかな治療費のみ
昔なのでバスも保険なんてなく、ひかれ損で、のちの通院費、治療費は1000万を超えた
実弟に田畑、土地、実印を盗まれ、借金の担保にされるも、実弟故にまたもや大事にせず
わかる人もいるだろうが、これはとある団体のバンクもグルで印鑑証明の不正などもあってかなり揉めた
同じ実弟が今度は伯父の家屋敷を担保にまたもや同じところから不正に借りて踏み倒し
伯父は亡くなる数年前まで借金を払い続けていた
お堅いところに勤めていた次男は行方不明
長男は今の今までわからなかったが、昔の事故で脳に損傷、軽度の知的障
これは民生委員の方が気付いて病院の手配をしてくれて発覚した
中学時代に学徒で召集され、工場で飛行機を作っていて、戦火を免れ終戦
帰って来てから地道に働いて、結婚したらすぐに伯母の事故、
後遺症に苦しむ嫁を支えながらがむしゃらに働いて晩年は伯父従兄弟と実弟のせいでお金の苦労ばかり
母とは20以上年が離れていたので自分にはお爺ちゃんのような存在だった
いつもニコニコと笑顔で接してくれた大好きな伯父
3回忌も過ぎて、もうすぐお盆
伯父の大好きだった濃いめのお茶でもお供えしてこようかな
959: 名無しのがるび 19/08/09(金)09:18:39 ID:4JA
この流れで思い出したこと。
実家の母は10代の頃に母親を亡くしてる。
鹿児島で生まれ育った母だったが、高卒で就職して東京に出てきたあと父親も亡くなって
あまり仲の良くない兄(伯父)しかいないので地元には一切帰省していない。
なので私も母方の親戚との付き合いは一切なかった。
私が結婚した時、結納式のあと婚約者の自宅に食事に招待された。
彼母(現在の義母)が料理が趣味な人で、沢山ご馳走を作ってたんだが
最後の〆に出された「鶏飯」を食べてる時に母が突然涙をポロポロこぼした。
その時に初めて知ったんだけど、彼母も元々鹿児島の出身だった。
その鹿児島の郷土料理の鶏飯。(鶏肉の入った炊き込みご飯とは違う)
彼母オロオロ。私も父もオロオロ。
「どうしたの?」って聞いたら「・・・かあちゃんの味がする・・・」って。
母親がよくこれを作ってくれたのを思い出したんだって。
そこから芋蔓式に母親のことを思い出してしまったんだとか。
私は親のことをずっと「お父ちゃん・お母ちゃん」呼びしてたので
“かあちゃん”って言った母の姿が子供みたいにとても可愛く見えて
でも10代で母親を亡くした母を思うと切なくなって、
なんか私まで涙が出てしまった。
で、ふと前をみたら彼母も泣いてたw
この一件があって、母と義母が仲良くなって
何年も後の事だけど、ふたりで鹿児島旅行なんかも行ってた。
それで吹っ切れたのか、色々あって伯父とも和解したみたい。
その母ももう亡くなったんだけど、久しぶりに今晩鶏飯作ってみようかと思う。
実家の母は10代の頃に母親を亡くしてる。
鹿児島で生まれ育った母だったが、高卒で就職して東京に出てきたあと父親も亡くなって
あまり仲の良くない兄(伯父)しかいないので地元には一切帰省していない。
なので私も母方の親戚との付き合いは一切なかった。
私が結婚した時、結納式のあと婚約者の自宅に食事に招待された。
彼母(現在の義母)が料理が趣味な人で、沢山ご馳走を作ってたんだが
最後の〆に出された「鶏飯」を食べてる時に母が突然涙をポロポロこぼした。
その時に初めて知ったんだけど、彼母も元々鹿児島の出身だった。
その鹿児島の郷土料理の鶏飯。(鶏肉の入った炊き込みご飯とは違う)
彼母オロオロ。私も父もオロオロ。
「どうしたの?」って聞いたら「・・・かあちゃんの味がする・・・」って。
母親がよくこれを作ってくれたのを思い出したんだって。
そこから芋蔓式に母親のことを思い出してしまったんだとか。
私は親のことをずっと「お父ちゃん・お母ちゃん」呼びしてたので
“かあちゃん”って言った母の姿が子供みたいにとても可愛く見えて
でも10代で母親を亡くした母を思うと切なくなって、
なんか私まで涙が出てしまった。
で、ふと前をみたら彼母も泣いてたw
この一件があって、母と義母が仲良くなって
何年も後の事だけど、ふたりで鹿児島旅行なんかも行ってた。
それで吹っ切れたのか、色々あって伯父とも和解したみたい。
その母ももう亡くなったんだけど、久しぶりに今晩鶏飯作ってみようかと思う。
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