郵便物

俺 農家、35才
嫁 30才、自己中
息子 5才、将来は農家になりたいって言ってる
母 65才、優しく嫁いびりなどしない人、物腰が柔らかい、孫love
父 68才、母と同じく物腰の柔らかい人、また母と同じく孫love
俺の家は先祖代々続く畑作専門の農家だ。俺の代で6代目のちょっと歴史のある農家で畑の規模が25町くらいある農家だ。
俺の売り上げは4000万から5000万程度なのだが、規模拡大や設備投資、農薬代や燃料代など経費ですぐに飛んでいく。だから、手元に残るのが400万から500万くらいしか残らない。
もちろんこの中で生活をやらなくてはいけないから一応不自由はないとおもう。今のところ…

前妻との間に息子が二人いるが、私が結婚して間もなく病気で他界したため後妻をとった。
その後妻とも娘が一人でき、偶然うちの娘と同い年で生まれたためそこそこの付き合いはあった。
娘が同い年ということで何かと比較し、「うちの○○は成績がよくて~」などと憚りなく言うような人で
こちらは「そうですか」とスルーしつつ、必要以上には接触しないようにしていた。
のちに義兄の息子たちはそれぞれ結婚して家庭を持ったが、義兄嫁が嫁いびりに精を出し疎遠になったらしい。

すれ違いざまに
「難聴は学校来んなよ。あっごめんこっちは聞こえるんだっけw」
と言われたり肘鉄食らわされたり足踏まれたりした。
A子はクラスの人気者で教師受けも良かったから訴えても「嫉妬乙」と
言われそうで言いだせなかった。
ある日やっぱりすれ違いざまに
「明日の放課後音楽準備室に来い」
と言われたのでレコーダーを持って行って会話を録音した。A子は
「っつかよく学校来られるよな難聴のくせに。生きてて恥ずかしくねえの?
言っとくけど誰かにチクっても無駄。あんたのこと信じるやつなんていねえし。」
とかいつも言ってることを長々喋ってた。

父親が単身赴任で私は母親と暮らしていた。
母親は自分の事は自分で、という教育方針で幼稚園の頃から自分の靴下やシタギはお風呂入った時に手洗いするとか
小学校に入ってからはお米を研いでご飯を炊くというとかお風呂洗ってお湯を溜める位の家事をお手伝いの範囲内でやらされていました。
電子レンジの使い方も温める、位の事は出来ていました。
そして住んでいる所が商店街を抜けた所にあったので、一人でおつかいに行くとお店のおじちゃんやおばちゃんが
「あら◯子ちゃん、おつかい?えらいねー。」とおまけしてくれたりする場所に住んでいました。
ある日家に帰ると母親がおらず置き手紙がありました。

え?
出て行く前夜に話した時に
「愛想尽かした?」
って訊いたら
記事検索
最新!話題の記事
コメント多数!話題の記事!
今読まれている記事はこちら!
今日の人気記事
スポンサードリンク